自然派ワインという言葉をよく聞く。「フェスティヴァン」など自然派ワインの試飲イベントの盛況を見ると、完全に市民権を得たようにも思える。が、それらのワイン定義は限りなく曖昧なのである。
 ある人は、悪名高き亜硫酸やその他の添加物の有無でそれをジャッジするという。また別の人は濾過の方法で判別するという人もいる。じつのところ、何をもって自然派ワインかというのは、法律上も概念上も決められていないので、ひょっとしたら真面目に造っている人が自然派ワインを名乗るビジネスの餌食になってしまう可能性もあるし、流行りもので終わってしまう可能性もある。しかし、それではあまりに哀しい。そんな状況下、自然派ワインの多様性を大切にしながら、なるべく細部までしっかり伝えようとした良書が翻訳された。イザベル・レジュロンによる『自然派ワイン入門』である。
 イザベルはマスター・オブ・ワインの称号をもつフランス人の女性。彼女が書く「まえがき」で、まず一般読者は驚いてしまうことだろう。農業用の長靴が飛ぶように売れ、長期熟成された肉を皆が愉しみ、サードウェーブの珈琲を誰もが愛飲し、それら食物のトレーザビリティが明白な時代なのにもかかわらず、ワインには原材料表示を義務付ける法律がないというのだ。自然派ワインが定義づけできなくて当然なのである。
 そもそも自然派ワインなどというと、最新トレンドのように扱われ気味だが、少し読み進めるだけで、それが極めてオーソドックスで昔ながらの造り方だということがよく分かる。健康な土壌でブドウを育て、収穫し、自然に発酵するのを待つ。以上。かつて工業製品として出回る以前のすべてのワインは自然派ワインだった。しかし、ワイン製造が一大産業になり、生産効率を高めようと人が介入していった結果、以前の普通が特殊なものになったというわけだ。
 この本は、そんな古くて新しい自然派ワインのいろはを丁寧に、ときにユーモラスに伝えてくれる。土壌や農法、発酵や認証の問題といった造り手の現場に肉薄した第1部から始まり、アウトサイダーというよりド変態(褒め言葉です)ともいうべきアグレッシブな気骨をもった職人や彼らが集う見本市やお店を紹介する第2部。そして白、オレンジ、ロゼ、赤など代表的な造り手とボトルの紹介しをしながら、自分自身で自然派ワインを見つけるための実際的な手引きとなっている第3部で構成されている。
 自然派ワインは二日酔いにならないという言説に対する科学的な説明や、独自なワイン造りをするゆえ産地呼称制度などの法律に苦しめられる生産者たちの苦悩など、知られざる情報に驚いたり憤ったりと、ワインの入門書のはずが随分エモーショナルな読み物だ。けれど、それこそが自然派ワインの特徴なのだろう。つまり、自然と人の創造物が人の感情を揺さぶらないはずがないということ。
 さて、愚直で格好よいファーマーたちがこれからも自由にワインが作れるよう、皆で今晩もどんどん呑みましょう。

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『自然派ワイン入門』(イザベル・レジュロン著 清水玲奈訳/エクスナレッジ、3024円)

ケトル vol.38 August 2017に寄稿