幅允孝は、友人に『字統』をプレゼントした。
友人に初めての子供が産まれたという。何ともめでたいことだと贈った本が白川静の『字統《普及版》』だった。重くてかさばり申し訳ない気もしたが、子供の名前を考えるときこそ、文字の奥底に潜むメッセージに触れて欲しかったのだ。
1910年生まれの白川静は古代漢字研究の第一人者といわれているが、その世界では常に異端扱いされてきた学者だった。白川は、漢字が言葉の意味を表すのではなく、文字そのものが生まれる以前の悠遠な記憶を孕んでいると説き、独自の世界観を提示した。彼は、ひとつひとつの漢字の細部に当時の人の想いや祈念、欲望や憎悪を読みとったのだ。
具体例を紹介してみよう。例えば、白川式の漢字思想は「言」という文字の紐解き方によく表れている。この漢字は「口」の上に長短合わせて4本の棒が書かれている象形文字だが、実はこの「口」はご飯を食べる体の口ではなく、祝詞や呪文など大切な言霊を紙や木に書き込み入れておく容器だったのだという。古代では神聖な文書を「載書」といったらしいが、そこから白川はこの「口」を「サイ」と名付けた。他方、4本の棒の原形は「辛」。つまり把手のついた針だと見抜き、「言」という漢字は神に何かを誓う神聖な言葉で、もしそこに偽りがあった場合は鋭い針で入れ墨の刑を受けるという、ずいぶん緊張感をもった文字として発生したと説くのである。
白川の字書をひいてみれば「道」という漢字の源が、他の部族の霊を祓い清めるため異族の人の首を持ち進むことだと知り、「白」が白骨化した頭蓋骨の形だと理解する。漢字の体系は後漢時代の儒学者、許慎が記した『説文解字』が完成形だと思われていた。しかし、1899年に発掘され漢字成立当初の形を伝える甲骨文字や金文を丁寧に研究することで、白川は中国人でも到達し得なかった独自の漢字世界をつくりだしたのである。さらにいうなら、その文字の内側にあるものを通じて古代の中国と日本の精神を探り結びつけて考えようとした点が、現在、多方面から白川が尊敬されている理由である。
ちなみに白川静は、ひたすら文字を写しながら考えたという。実際に甲骨文字の上にトレーシングペーパーを載せ、ひたすら上からなぞる日々。誰にも注目されず、35年近く来る日も来る日も大学の研究室で孤独に文字を書き続け、古代の東洋を憑依させた者だけが見ることのできた地平。それが白川静の漢字の世界だった。
そんな白川静について、仕事のアウトラインと込められた想いを知ろうと思ったら松岡正剛の『白川静 漢字の世界観』が最もわかりやすいだろう。けれど、今回はやはり白川自身の本を推したい。60歳にして初めて著した『漢字 生い立ちとその背景』(岩波新書)は、漢字の素性に耳を傾けるにはうってつけの1冊だと思う。漢字が成立した当初の形を正しく知り、整理し、帰納し、体系化する白川の原理。まずは、この本から新しい文字との出会い直しを体験してみては如何だろうか?
ケトル vol.34 December 2016に寄稿