先週末、蔵前で行われていた「BOOK MARKET2015」というイベントに足を運んだ。アノニマ・スタジオという出版社が主催するこの本のマーケットは今年で6回目を迎えるもの。「『本当に面白い本』だけを集めた本好きのためのブックフェア」と銘打つ通り、えりすぐりの書籍が借り切ったビルのワンフロアにところ狭しと並ぶ。大手というより、中小の出版社が出店するブースはまるで市場のようで、会場はすごい熱気。暖房を切っても、部屋の熱は下がることがない。

読むことすらできない

何をもって「面白い本」と判断するのかは難しいけれど、来場者は少なくとも一冊くらい、琴線に引っ掛かるものに出くわしたはずだ。各出版社や本屋さんのブースでは、本のつくり手が自らの言葉でお客さんに説明をしている。僕は新潟の雄、北書店の佐藤雄一さんに呼び止められ、彼のブースの本を眺めた。そこで、教えてもらった一冊が『東北朝市紀行』というタイトルだったのだ。

「あ、これ幅さんが買うかと思って持ってきたんだよね」と佐藤さん。そう言われると、買わなきゃならない気分になってしまう。商売上手だなと思いつつ、手に取りページをめくると、なんだ本当にすごい一冊ではないか!

著者は、失われつつある東北各地の朝市をカメラ片手に20年歩き続けた池田進一。彼がそれらの朝市で撮った写真と、そこで聞いた話をまとめた一冊なのだが、まず面食らったのは、僕がその本文を読むことができなかったからだ。

「普通のナス漬けをよ、なんずみて漬けてくる。これはきれいだべ。つとめただす。むしゃむしゃなくのも、なかなかよ。この人だなけ、じょうずなの」。これは、冒頭に登場する秋田県横手市十文字町の朝市で出会った漬物屋の婆ちゃんの話だ。そして、愛知出身の僕にとっては、婆ちゃんたちの方言が完全に異世界の言葉。理解しようというより、音として何とか体に入れようと読みすすめる。そして、いわゆる標準語で語られる著者の説明なり、解説なりを待つのだが、一向にそれは現れないではないか。

そうこうしているうちに秋田県南秋田郡五城目町の朝市に移動してしまった。フード付きの赤いはんてんを着て、完全防備で寒い朝市に座る写真がすてきなこちらの婆ちゃんは、「あんた写真屋さん?」と池田に話しかけている。「またいつか来るの?明日はどこ行くの?明日、鹿渡でしょ。森岳は八の日。二ツ井は五の日だ」なんて池田のことを心配しながら、日々続く朝市のスケジュールを淡々と話し始める。そして、読者の心に浮かぶのは「鹿渡ってどこだ?」とか「森岳の朝市の予定を知って、僕はどうすればよいのだろう?」という疑問ばかり。

これは朝市のライヴ

『東北朝市紀行』は、この調子でじつに潔く初志貫徹している本だ。婆さまの話が、方言そのままで切りとられ、池田の写真が傍らに添えられる。なんてことのない会話の一部が、方言の注釈もなく、ただ文字になってページに並んでいるだけ。なのだが、これを読みすすめるうちに僕は不思議な心地よさに包まれた。そう、この本は完全な朝市のライヴなのだ。

編集を極力排したそのまんまの言葉は、その朝市の活気を真空パックにして読者のまえに運んでくる。会ったことのない人が確かに見える実感。理解できない方言だって、分かりやしないけど伝わってくる気がする。確かに考えてみれば、直接会っている婆ちゃんに向かって、「あなたの方言がわからない」なんて言う人は少ないはずだ。せっかく対面しているのなら、何とか分かろうと人は努める。その分かろうとする気持ちを携えて本書を読めば、「漬物って人の手を買うだな」とか、「親食べてれば子供食べる」など、朝市紀行ならではの格言も聞こえてくるようになるのだ。いつの間にか寒い北国の朝市の熱が自分にも伝搬していることにきっと読者は驚くことだろう。

個人対個人の交わり

著者の池田は福岡生まれの人だから、会話の書き起こしは本当に苦労したそうだ。(あとがきに、最難関は「しおでびんと」という言葉だったと書いてあった。)朝市の人に方言の手直しもしてもらい、市場近くの温泉やアクセス情報も小さなスペースだが親切にも添える。じつに潔く丁寧な本だ。読後に僕は、「結局こういうことなんだよな」と独り言を口にしてしまうくらい、妙に納得してしまった。

本を選ぶときは、いつもインタビューをし、目の前の一個人に向けて選書したいと僕は常々思っている。そういう最小単位のコミュニケーションこそが仕事をする上で、唯一にして絶対の手応えだと考えているからだ。ビッグデータの使い方ばかりが盛んに語られ、SNSなどを利用すれば一度に多数の人と関わることができるご時世だからこそ、自分が「確かだな」と思える個人対個人の交わりに意識的でいたい。

だから、この『東北朝市紀行』は蔵前の小さな本のマーケットで出会うべくして、出会った一冊だったと、僕は北書店の佐藤さんに個人的な感謝をするのだ。対面して、話して得られるものを、僕は大切にしたいと思う。

幅 允孝

「東北朝市紀行」(池田進一著/こぶし書房、1800円+税)

『SANKEI EXPRESS』2015.2.18 に寄稿
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150218/exg1502181540004-n1.htm